●1970年におこった多紀郡一本化の推進
広域市町村圏事業の要項を県から説明を受けた多紀郡は、はたまた、合併問題との絡み合うこととなる。
広域市町村圏事業というのは、地域の振興を図るため、人口10万を基準として地域指定を行い国の財政援助によって行政面において共通し一本化できる事業を広域行政で推進しようというもの。
多紀郡は、人口こそ基準に足りないが、既にし尿処理、伝染病、土木機械、教育事務組合、税務等の事務処理電算センターなど、広域化は他の地方に比して相当進んでいる。
したがって多紀郡の場合はむしろ6町合併が望ましい。過去3度も合併が不成功に終わっているが、時代の移り変わりに対処するためにも、もう1度考え直すべきだというものであった。 |
1954年以前の旧町村界 1町18カ村 |
5月8日町長会において次の談話を発表した。
「4度目の正直を期して来年4月1日を発足目標に郡一本化を図ることで各町長の意見がまとまった。今後は各町議会、総代、住民各位の協力を要請する」というもの。
6月26日には「多紀郡6か町合併推進事務局」と木の香りも新しい看板を掲げて、郡教育事務組合の1室で事務を開始した。
過去再三合併協議を尽くしているので、事務局では「合併協議会の会則案」や「合併に関する協定事項案」は比較的早くまとまった。
7月3日の各町長、議長の合同会議では、過去の合併失敗に基づき、十分住民の納得を得る必要がある。慎重によく検討していこうということになった。
ところが、合併推進の最中に、重要な鍵をにぎる町長が病気で長期入院したり、8月にいたって合併不参加を表明した町もでき、各町の足並みもそろわず、またもや郡一本化は絶望となった。 |
1975年3月までの6町 |