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1973年に起こった5度目の郡一本化構想

●1973年に起こった5度目の郡一本化構想

 同じことを何回行ってるのやと郡民の中には陰口をいうものもいたが、今度こそと5度目の郡一本化を唱えて立ち上がったのは1973年1月10日の郡町長会の初会議であった。
 それほど、社会の進展、住民生活の高度化に対応した行政を行うには合併による強力な自治態勢が必要だと考えられるからである。
広域行政圏の設定で一段と環境整備を図り、その勢いで一気に合併しよう。その実現目標を1975年4月1日とすることを町長会で確認した。
 そして、各町長、議長の合同会議を開き、議会側の協力を要請すると共に、各町から、企画、財政の担当職員で合併プロジェクトチームを編成したのである。
 6月下旬には合併の基本構想をつくり、これを発表した。「合併の形式」「合併の時期」「新町の名称」「役場庁舎の位置」「支所と取扱事務」「議会議員の任期と定数」「農業委員会の定数」「町税の課税」「消防団と施設」「職員の身分取り扱い」「小学校の通学区域」「町長選挙」など具体的に発表した。
 各町とも1973年12月議会で「篠山町ほか5か町合併協議会」の設置議案を可決したのであったが、1974年2月15日の第3回合併協議会で庁舎の位置問題で空転した。
 その後協議会の小委員会で庁舎位置等について新町協議を重ねたが、全幅の了解点に達せず、また、財産問題も協議を整わず、ついに4月16日多大の期待もむなしくまたもや不成功に終わった。
 しかし、東部3町(篠山、城東、多紀)はその後も協議を重ね、1975年3月合併して篠山町になった。

1954年以前の多紀郡
1954年以前の旧町村界 1町18カ村

1975年3月までの多紀郡
1975年3月までの6町

1999年3月までの多紀郡
1999年3月までの4町