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●1960年再燃した市制問題 この時は、郡内の各種団体から町村合併を進めるべきだとの要望が相次ぎ、2月1日郡内各町村長、議会議長、県地方課長、丹波財務事務所長等を交えて、市制研究会を結成することとした。 その後、11月1日初の多紀郡市制研究会を開き、1961年度から市制を実現しようと申し合わせた。 話は余り進展を見なかったが、1962年10月ようやく、市制協議会の総務委員会で市の名称は「篠山市」がよいとの意見を出した。 しかし、庁舎位置も決まらず、各町合併条件等も未提案で、時期尚早論もあり、また、破局となり、市制協議会も1962年12月20日解散した。 |
1954年以前の旧町村界 1町18カ村 1975年3月までの6町 |