だれでもご存じのように落語家の桂文珍さんは丹波篠山の出身です。そして、今や篠山から連想するものといえば「桂文珍」と答える人が多いのではないでしょうか。 文珍さんが、「ふるさと篠山」について語った想いが「(旧篠山)町勢要覧」にありますので、ご紹介しましょう。 |
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桂文珍から見た丹波篠山(旧篠山町勢要覧から) | |
桂文珍さんが絶賛されている 「たんば田園交響ホール」 |
ふるさと篠山へ 大阪からわずか1時間のところにありながら乱開発がされず、美しい自然が残っていることはうれしいことですね。 古くから山陰街道の要衝の地として、また城下町として栄えた篠山は、大阪、京都から上方や江戸の文化が伝わり、それがうまく融合して豊かな文化の土壌が生まれてきた所です。この町からは、伝統文化の香りや古い町並みの佇まいに住む人々の温もりが伝わってくるんですよね。 物質文明、物量生産の時代に精神的なゆとりや豊かさが求められている昨今、おいしい空気に穏やかな環境など、町の雰囲気すべてが訪れる人々を温かく包み込んでいるような気がしてなりません。 これからは「丹波篠山」の時代なんですよ。押し寄せる開発の波に振り回されることなく、恵まれた自然を今日まで大切に守ってきたのは、丹波の気候風土に培われた辛抱強い篠山の人のほかありません。松尾芭蕉の句に「不易流行」という言葉があります。その時々の新風に惑わされることがないという意味ですが、篠山人にぴったりという感じ、大切にしたい言葉ですね。 調和のとれた篠山の町並みには美しくホットするものがあります。篠山城跡の傍ら、文化の殿堂たんば田園交響ホールと役場新庁舎などは、周りの自然にほどよく溶け込み素晴らしいものがあります。この町で生まれ育ったものにとっては誇りあるふるさとなんです。特に交響ホールは、全国広しといえども、これほど充実した設備に、またその運営に力を注いでいるところはありません。外観はもちろんのこと、舞台に立つ人、観る人にやさしく造られ、お互いに楽しむことができるホールです。昔から、音楽などの文化意識の高い町だけにあらゆる文化の創造、発展の拠点として大いに期待しています。 懐かしい山や川、いつになってもふるさとの自然が残され、人の温もりが伝わる丹波篠山であってほしいと願わずにはいられません。あまりある地域の特性を生かし、この町に住んでよかった、生きていてよかったと幸せを実感できる町づくりを期待しています。 「丹波篠山」という遅れてやってきたランナーに今、光が差し込んできたのです。これからの時代、いよいよ舞台は「篠山」です。活力あるふるさとづくりを祈っています。 |