篠山の生んだ外交官 堀内謙介(ほりのうちけんすけ)
|
|
篠山藩校振徳堂の教育精神は篠山中年学舎公立篠山中学鳳鳴義塾へと受け継がれ、明治、大正、昭和の時代にかけて多くの逸材を輩出しました。その中でも特色ある人の一人として外交官堀内謙介をあげることができます。堀内謙介は篠山に生まれ、明治36年(1903)鳳鳴義塾を卒業。その後、第一高等学校を経て東京帝国大学法学部に学び、俊才として知られていました。大学在学中に外交官および高等官の試験に優秀な成績で合格。卒業後は外務省に入りました。入省組の同期には後に総理大臣となった氷上郡出身の芦田均や戦後の復興の礎を築いた吉田茂がいました。 謙介は外交官としての活躍の場を諸外国に求め、中国、イギリス、アメリカ合衆国などの領事館勤務を経験し、昭和7年(1931)アメリカニューヨーク総領事を務めました。昭和9年外務省アメリカ局長、昭和11年には外務次官に就任。その後、駐米大使を務め、昭和15年に帰国。終戦後は中華民国大使として活躍しました。その後も外務省顧問、国連協会顧問、鹿島平和研究所顧問を歴任し、東京小日向の自邸で静かに余生を送りました。 |