俳人 西尾武陵(にしおぶりょう)
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「旅人をけふもそだてて春の風」という句碑が河原町の入口に建っていますが、この句を詠んだ西尾武陵は、江戸時代文化文政期の篠山地方を代表する俳人です。
西尾武陵、通称呉四郎といい武陵はその俳号です。明和3年(1766)丹波国の多紀郡大山村に生まれ、天保9年(1838)73歳でなくなりました。
大山村の庄屋、篠山藩の台所方の御用を努めながら家業である酒造業に励み、その余暇として風流韻事を好み、諸芸に通じました。 その中で今日、武陵の名を有名にしたものは俳諧の道でした。かねてから与謝蕪村の門下となっていた篠山城下の御用商人菱田暮寥をたよって、今日の天明俳諧の雄、高井几董に接近し、さらに江森月居に師事し俳諧の道を極めました。武陵は俳人であると同時に庄屋としての公用、家業である酒造業、商業を営み丹波大山にいながら諸国俳人の行脚を迎え、世間のよもやま話に花をさかせ、交友の輪を広げました。
しかしときには、なかば商用をかねて、奈良、大阪、京へ出かけ、その地で詠んだ句も残されています。 武陵の活躍した時代、寛政から文化文政の頃の俳諧は、流派を問わず全国的に交流して交わりました。この傾向は俳諧に限らず他の一般文化面にも及び、化政期といわれる江戸時代最後の文化が花開いた時代でした。 |