◆ひとこと 「篠山の史実を史実として、後世に伝えたい」 |
■ボランティアグループ ディスカバーささやまの初代代表 | |
篠山市のホームページの中には、篠山の歴史を様々な観点からデータベース化していますが、中でも『丹波篠山五十三次』は人気の定番。この執筆者の梶村文弥さん。 数々の郷土史を出版されている梶村さんは、観光ボランティアグループ【ディスカバーささやま】の初代代表。 1920年生まれの梶村さんが高校の教師を定年退職されたのが1982年、それを待っていたように、当時の篠山町長藤井正一さんが梶村さんの文学、郷土史などその才能を、篠山の文化発展にと依頼したのが篠山文化講座の講師。文化講座の会場となった篠山市民会館の中会議室は毎回満員の盛況。これがきっかけとなって、翌83年9月の観光ボランティアグループ「ディスカバーささやま」の結成につながっていきます。 |
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当時ディスカバージャパンで丹波篠山は、観光地として脚光を浴びつつあり、訪れた観光客にボランティアとして観光案内しようとする取り組みで、現在では全国各地にある活動の先駆的な取り組みでした。翌年には、朝日新聞全国版などで大きく取り上げられ、全国的な活動へと広がっていったと言います。 ディスカバーささやまの初代会長となった梶村さんは歴史と地域のことを調べ上げ、ガイド養成のテキストを作成しました。それを書物にしたのが『丹波篠山五十三次』で、さらに範囲を篠山盆地全体に広げた『ふるさとの探訪 丹波ぶらり散歩道』など篠山地方の歴史と文化を取り上げた書物を次々と発刊。 梶村さんのポリシーは「史実を史実として後世に残すことが大切」ということ。そのためには、歴史文献をていねいに収集し、読みすすめていくことと言います。「民話と伝説の継承に夢があり、ロマンがあって良い。ロマンをどんどん膨らましていく。それが史実にとってかわってしまうべきではない、史実は史実として明らかにする必要がある」と。 |
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梶村さんは、大作「情熱の歌人 和泉式部」では、篠山地方での和泉式部の足跡と地元に残る伝承を細かに調べ上げています。「丹波篠山とっておきのはなし」(1〜3)では戦国から江戸時代に焦点を当てて八上城主波多野氏、篠山城主青山氏について研究しています。そして今度は源義経伝説に挑戦。天正年間の書物にある、義経が多紀連山にいたと書かれていることを取り上げ、ロマンとして物語を展開していくという。梶村さんによれば「史実ではないが、ロマンとしておもしろく仕上がっています。ただ今本の題名を考えています」とのこと、大いに期待しましょう。 |
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※この記事は2001年8月に掲載されたものです。 |