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幕府の上使に出した料理の献立を記している。『御所替帳面上下』部分寛延2年(1749) 大書院での城請け受け取りの様子を記している。『御所替帳面上下』部分寛延2年(1749) |
大名と国替江戸時代を通じて、大名同士による国替(領地替)は幕府の命によりしばしば行われた。 国替は大名家のみならず、家臣とその家族の全てが移動する大変な作業であった。個々の引越しはもちろんのこと、城内や城下の備品目録の作成、実際の請け渡し、幕府から派遣された上使の接待など、周到な準備と多くの労力を必要とした。 寛延元年(1748)8月3日に、亀山藩主青山家と篠山藩主松平(形原)家との国替が幕府内で決定され両家に発表された。 両家では直ちに準備に入った。その様子を一部始終記録した「寛延二巳年御所替帳面上下」によると亀山藩と篠山藩では同様に城の請け取りの儀式が執り行われたとある。 |