篠山の歴史を知る「篠山町75年史」ー「教育(私塾・寺子屋)」

明治4年廃藩前、篠山町内にあった私塾・寺子屋の主なものは次の通りである。

餌差町(今の東新町)積水塾 渡辺亮太郎 男 76 女 0
徒士町(今の西新町) 村上四郎兵衛 40 10
佐蔵杢之進 50 30
人見伝治 60 20
割場町(今の東新町) 北村源正博 30 20
山内町 河南信成 40 30
新町(今の東新町) 瀬戸晩翠 40 20
石山口(今の北新町) 並河基蔵 40 0
小川町 北川里右衛門 20 15
餌差町(今の東新町) 喜多川幸太郎 18 12
高井達之進 40 25
早川七之亟 25 18
南新町 塩田蓮右衛門 30 15
六軒町(今の西新町) 小林禎之進 20 15
14ヶ所 529 230
 

当時の寺子屋、私塾に於ては、習字を主とし、傍ら読書、作文、珠算及び行儀作法等を教え、体育は余り顧みられなかったが、篠山藩では、兵法、剣術、槍術、弓術、馬術等の練習が行われ、それぞれの流派があり盛んであった。今其の流派をあげると次の通りである。

兵法 越後流、山鹿流、北条流、御流儀
剣術 機迅流、東軍流、中条流、万法一刀流、小紫流
槍術 鎌宝蔵院流、本心鏡智流、種田流
弓術 竹林流、雪荷流
馬術 大坪本流、大坪当流、近援流
砲術 中島流、藤岡流、萩野流、外記流、古山流、高島流、御流儀、起倒流、荒木流、天流
 

このページの記事は「2005年トライやる・ウィーク」で篠山市立篠山中学校の2年生3名が作成したものです。

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