篠山の歴史を知る「篠山町75年史」ー「教育(高等学校)」

昭和22年3月学制の大改革により、兵庫県立鳳鳴中学校と兵庫県立篠山高等女学校はそれぞれ新制高等学校となり、更に昭和23年両校が総合して出来たのが兵庫県立高等学校である。昭和23年9月、元の鳳鳴中学校校地に校舎を増築し、両校生徒全部を収容して現在に至っている。
 

私立篠山中年学舎

明治8年12月
旧藩主青山忠誠は旧藩士族の優秀子弟を選抜し、之に学資を支給し東京に招致して、各々其の志す所の官私立学校に入学させた。
 
明治9年12月
篠山町有志、安藤直紀等十余名、青山忠誠の命を受け、中年以上の子弟を教育するため、仮に一学舎を篠山春日神社境内に設けて私立篠山中学年舎と名づけ教授を開始した。
 
明治10年1月
青山忠誠は5,000円を寄与してその規模を拡張させ、城内堀内令順宅を購入して学舎に充て廣く郡内の子弟を教育させた。
 

公立篠山中学校

明治11年
中年学舎を多紀郡立に移管して公立篠山中学校と改称し、公費を以って之を維持するに至った。
 
明治16年12月
校舎が全焼したので、又城内堀内令順第二家宅を購入して校舎に充てた。
 

私立鳳鳴義塾

明治17年
中学校設備規則発布により、廃止の己むなきに至ったので、青山忠誠は深く之を遺憾とし、私学として此の中学校を永久に維持する為、郡内有志も亦之に賛成し、廣く基金を募り、忠誠又年々経常費の一部を支出し、私塾を興して私立鳳鳴義塾と改称、明治18年8月許可を得た。
 
明治20年7月
青山忠誠卒去、嗣子忠充其の志を継いで益々拡張を図ったが、12月塾舎が焼失したので、立町の忠允の特家及び木村伝助家宅を借入れ、仮塾舎に充て、授業を継続し、新たに土地を北新町に購入して、塾舎の建築に着手し、明治21年新塾舎に移った。
 
明治26年
寄宿舎2棟、食堂一棟を建築した。
 

私立尋常中学鳳鳴義塾

明治32年1月
兵庫県知事より、尋常中学校の組織に変更の件が認可せられ、私立尋常中学鳳鳴義塾と改称した。
 
明治34年6月
講堂、寄宿舎3棟、舎監室、病室等を新築した。
 

兵庫県立鳳鳴中学校

大正9年3月5日
鳳鳴義塾を4月より、県営に移管し、兵庫県立鳳鳴中学校と改称定員を300名を400名とした。
 
大正10年4月より2ヶ年継続で定員500名とした。
8月、理科学教室の西方に2階建教室1棟を起工し、大正11年2月竣工、又西運動場体操場設備及土塁工事も竣工した。
 
大正13年1月
西運動場に庭球コート、弓道場及農園を新設し、4月学級数を10学級とした。
 
大正14年3月
創立50周年記念事業として、造林会設置、桐岡会設立、12月理科、地歴の特別教室1棟を建築落成した。
 
大正15年4月
財団法人前田訓育基金を設置した。
 
昭和9年11月
講堂建築に着手し、昭和10年3月竣工、10月寄宿舎1棟を多紀郡事務組合へ払下げた。
 
昭和12年9月
工作室及び武道道場を増築した。
 
昭和13年9月
本館改築起工、昭和14年9月竣工。
 
昭和16年5月
木造2階建4教室1棟その他、非常階段2、渡廊下3、排水設備竣工。
 
昭和17年
城南村谷山に造林、2町3畝10歩をした。
 
昭和18年4月
生徒定員700名とし、4月寄宿舎を旧本館に移した。
 
昭和20年3月
寄宿舎を新教室に移し、4月生徒数を800名と定めた。
 
昭和22年4月1日
学制改革により、新制高等学校となり鳳鳴高等学校と改称、併設新制中学校を置いた。
 
昭和23年4月
育友会を組織した。
 
以上の様な変遷に富む歴史を有する学校であるが、男女共学制による高等学校として、昭和23年7月1日県立篠山女子高等学校と合併した。
 

篠山高等女学校

篠山女子高等学校の合併前の沿革は次の通りである。
 
明治45年2月22日
多紀郡立高等女学校設立認可、同年4月15日、篠山城跡郡公会堂附属地に定員200名、園田定太郎を校長として開校し、同年5月28日開校式を挙行。
 
大正3年3月31日
実科高等女学校に組織変更。
 
大正8年1月
高等女学校に組織変更。
 
大正10年4月
生徒定員を400名8学級とした。
 
大正11年4月
県立に移管、兵庫県立篠山高等女学校と改称した。
 
大正12年3月
新築校舎(現在篠山中学校校舎)竣工し、同校舎に引き移る。
 
大正14年4月
補習科設置定員50名1学級を編成。
 
昭和12年2月
本館増築落成。
 
昭和17年5月
創立30周年記年式典を挙行した。
 
昭和22年4月1日
併設中学校設置、学制改革により高等学校となり兵庫県立篠山高等女学校と改称。
 

兵庫県立篠山高等学校

昭和23年7月1日
兵庫県立篠山鳳鳴高等学校と兵庫県立篠山女子高等学校が合併統合。
 
昭和23年9月1日
兵庫県立篠山高等学校と校名を改称することになった。
 
昭和23年9月
同校育友会創立。
 
昭和23年9月16日
第1学年男女共学を実施した。
 
昭和23年11月25日
校章を制定した。
 
昭和24年10月
学校図書館上棟。
 
昭和24年11月
普通教室8、理科室1、家庭科教室4の増築及び工作教室改造に着手。
 
昭和25年12月
引続き増築、普通教室4の建築に着手。
 
昭和26年10月26日
校舎増築竣工。
 
昭和27年3月29日
図書館増築工事が完成した。
 
現在の生徒数は男子627名、女子593名、計1,220名。
現在の校地運動場、校舎建坪は次の通りである。
校地 3,953坪
運動場 3,908坪
実習地 6,100坪
校舎延建坪 2,419坪弱
 

歴代校長

【鳳鳴義塾】
市瀬禎太郎 明治15年-明治21年
安藤直紀 明治21年-明治28年
赤見昌徳 明治28年-明治31年
赤木通弘 明治31年-明治35年
市瀬禎太郎 明治35年-明治41年
園田定太郎 明治41年-大正9年
 
【鳳鳴中学校】
阿部常次 大正9年-大正15年
賀須井千 大正15年-昭和6年
安藤菊次郎 昭和6年-昭和10年
阪部由松 昭和10年-昭和15年
佐々木克己 昭和15年-昭和20年
奥山雄蔵 昭和20年-昭和23年
 
【篠山高等女学校】
園田定太郎 明治45年‐大正4年
松本稜威哉 大正4年‐大正5年
岡部右馬之助 大正5年‐大正10年
小倉孝治 大正10年‐大正12年
大野実 大正12年‐大正15年
横山六郎 大正15年‐昭和11年
梶原亮静 昭和11年‐昭和15年
伊藤八郎 昭和15年‐昭和18年
神田卓夫 昭和18年‐昭和23年
 
【篠山高等学校】
河津啓太郎 昭和23年‐昭和27年
一色智二 昭和27年‐現在
 

このページの記事は「2005年トライやる・ウィーク」で篠山市立篠山中学校の2年生3名が作成したものです。

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