篠山の歴史を知る「篠山町75年史」ー「教育(篠山町体育協会)」
篠山町体育委員会
昭和14年、戦時下時局の要請により、壮丁体制の向上、国防能力の充実、武道精神の振興、銃後慰安の強化という使命達成のために、県下41市町村に体育委員会規程を制定、委員を設けることとなり、篠山町もその指定をうけ、町長の推薦により、長岡直孝、岡沢信次郎、渡辺立、西尾丈夫、萩原寛太郎の5名を委員に、小林幸之進等5名を補助員に定め、同年11月1日、初の委員会を開催し、篠山町体育委員会は発足した。
昭和14年11月3日、篠山町、篠山小学校と共催で、小学校運動場に於て国民体育祭篠山町大会を催し、その使命達成の第一歩を踏み出し、折柄、興りつつあったラジオ体操に主眼をおき各所に会場を設けてラジオ体操の会を各字町に作りその普及に力を尽くした。
篠山町体育協会
昭和15年4月に至り篠山体育委員会は発展的解消し、篠山体育協会が生れ、同月22日、篠山小学校運動場に於て県体育主事を迎へて盛大な発会式を挙げた。
爾来、町民体位向上のため、ラジオ体操は元より、あらゆる運動の奨励を図り各種の運動及競技会を開催した。
昭和15年8月18日 第1回篠山庭球大会を篠山高女コートで開催、各種団体、各町内代表が参加した。
昭和15年10月23日 町内対抗野球大会を開催、上河原町が初優勝した。
昭和15年11月3日 篠山町民体育大会を催した。
昭和16年6月20日 体操と歌と踊りの会を催した。
昭和16年7月20日 第2回町内対抗野球大会を開催、東新町が優勝した。
昭和16年11月3日 第2回町民体育大会を開催、東新町が優勝した。
昭和17年8月 第3回町内対抗野球大会で上二階町が優勝した。
篠山町体育協会の再発足
大戦が治まると逸早く各種のスポーツが勃興した。篠山町に於ても中絶中の体育協会再建の議が起り、町当局は町民体位の向上と健康増進に兼ねて町民の親陸を図る目的を以て、昭和22年9月14日、有志を招いて打合会を開催、満場一致を以て篠山町体育協会の改組再発足を決定した。
席上、別記の役員を選出、会の運営は理事会に於て合議により行うこと、町民体育大会、町内対抗野球大会等を例年開催することを決めた。
役員
会長
藤本善吉
理事
小谷祐通 宇杉篤三郎 細見勣
佐々木誠造 安井真一郎 萩原寛太郎
河南淳 稲川寛一
又、翌23年から町内対抗女子排球大会を、24年からは少年野球大会を例年催すこととし、昭和25年から初まった多紀文化祭、郡民体育大会には全町より最強メンバーを選出、第3回大会を除き、優勝の栄を得ている。
このページの記事は「2005年トライやる・ウィーク」で篠山市立篠山中学校の2年生3名が作成したものです。