篠山の歴史を知る「篠山町75年史」ー「産業・経済(工業)」
篠山町の工業
従来から再三大工場の誘致問題が話題に上ったが、いつも条件に恵まれず、現在に至るまで大工場は一つも無く、工業界は至って不振の状態である。
西町に芦森工業株式会社篠山工場がある外、多紀酒造有限会社、株式会社小谷木材店の資本金各300万円が筆頭で、その他は小資本の個人工場が多い。
多紀工業会の篠山町内会員は37名で、業種別は次の通りである。
製材業 4 | 自動車修理業 3 | 土木建築業 2 |
硅石業 2 | 農機具業 2 | 製綿業 2 |
製麺、味噌 2 | 鉄工業 2 | その他 18 |
芦森工業株式会社篠山工場
營業所は西町、工場は隣接地の岡野村東岡屋にある。本社は大阪市東淀川区13、資本金1億2,500万円、篠山工場は同社5工場のうちの一つで、現在従業員120名、細巾織物、組紐類を製産、年間製産量28万ポンドである。
【同社の前身】
昭和11年4月、西町に篠山製絨所(工場は東岡屋に属している)を創設、社長谷江長、資本金30万円で毛織物を製産したが、昭和16年3月、東洋紡績株式会社伊丹製絨篠山分工場として吸収合併され、さらに昭和22年2月、芦森工業株式会社篠山工場となり、今日に至っている。
多紀酒造有限会社
昭和20年3月1日、時局の要請による企業整備令のため、郡内にあった13酒造場は各自廃業、全員が株主となって呉服町に多紀酒造有限会社を創設して銘酒「鳳鳴」を造った。資本金24万円、代表取締役西尾丈夫
【13酒造場】
篠山久枝松(西尾丈夫)
篠山丹波富士(小島豊長)
福住をだ卷(野々口正夫)
日置多紀津瀨(野々口政太郎)
雲部寿齢(小畠郁夫)
雲部鹿正宗(岸本良太郎)
南河内松の鼻(山田清太郎)
大山西尾正宗(西尾精一)
味間鳩の泉(前川隆治)
古市小丹波(小林四郎)
北河内三笠(井階巖)
城南昭和の鑑(小林興三郎)
今田白髪獄(前中精逸)
昭和26年11月、代表取締役に西尾精一が就任。同28年12月、野々口正夫、野々口胖、山田清太郎三氏が退社。新たに福住村に野々口酒造株式会社(社長野々口正夫)を設立、をだ卷を造っている。
多紀酒造の「鳳鳴」は昭和29年の全国清酒品評会に優等に入賞した。昭和30年の酒造高予定は1,720石、販売先は多紀郡内並びに大阪市内である。
このページの記事は「2004年トライやる・ウィーク」で篠山市立篠山中学校の2年生3名が作成したものです。