沿革等
東木之部の薬師堂横の尾根斜面に残る石塔群の中に、2基の宝篋印塔が残されています。
宝篋印塔は本来「宝篋印陀羅尼経」というお経を納めた供養塔で、基壇の上に台石、塔身、笠石、相輪を乗せて構成されています。当地の2基は、完全な形で残されており、南北朝頃のものと考えられます。台石には、複弁の反花座をつけ、側面に輪郭をとり、その中に格狭間を刻み、軸石には月輪という円を描き、その中に四仏の種子(梵字)が、刻まれています。笠石の隅飾り突起が右側の宝篋印塔の方が直立しており、やや時代的に遡ると考えられています。
隣接の薬師堂は、耳薬師として信仰を集め、耳の病にご利益があると言われています。