沿革等 大化年間に「法道仙人」によって創建され、後大同3年(808)に、天台宗の開祖「伝教大師」により中興と伝えられます。その後、文治4年(1188)に焼失しましたが、観音信仰の厚かった三尾山城主「赤井刑部幸家」によって天正年間に再建されたと伝えられます。同寺には、彼が寄進したという涅槃図(市指定文化財)や城中で祀っていたという大日如来座像が残され、境内には彼の墓碑も残されています。