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丹波ささやま五十三次(西紀編)

五坊谷池

 五坊谷池沿革等
 五坊谷池はかつては郡内一の大池であった。別名倉本池という。明暦2年(1656)この池造成のため、倉本村は現在地に移ったが名前だけが残ったわけである。近くに古刹福徳貴寺があるが、その「五坊」があった「谷」と言われている。
 この池は、承応4年(1655)から3ヶ年の歳月をかけて、篠山藩主の指揮の下、郡中央部と西部の数千人の人々の賦課によって造られたものである。古い記録には、16ヶ村がこの池の水を利用し、収穫高は1729石と記されている。現在五坊谷池の貯水量は17万トン。二回転が可能な集水面積を上流に持ち、潅水期には宮田川流域を始め、西紀地区南部一帯の300ヘクタールを潤している。