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丹波ささやま五十三次(西紀編))
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丹波ささやま五十三次(西紀編)
つづみ峠と公園
沿革等
県道篠山三和線の交通の要所で、瀬戸内海と日本海への分水嶺ともなっています。この峠は、天正4年、丹波攻めで侵攻した明智光秀が、天正4年(1576)丹波攻めに失敗し敗走する際、当地の土豪細見将堅信光、畑牛之丞と戦った古戦場としても伝 えられ、この際討ち取られた明智の重臣堀部兵太夫の首塚と伝えられる兵太塚も近く に残されています。
峠には、つづみ公園も整備され、春の桜の名所としても知られています。名前の由来は、峠付近の圃場が和楽器の小鼓に似ていることに起因したといわれています。