沿革等
この地は、江戸時代後期に塩類の鉱泉が湧き出ているのを発見され、大正時代に春日温泉として大勢の湯治客で賑わいをみていたが、次第に衰微し、中断状態となっていた。
時が過ぎ、昭和37年に西宮市の大谷実業株式会社社長、大谷竹治郎氏がこの温泉の再興を志し、温泉、湯治療養大衆施設としてヘルスセンターを設置するとともに、自らも山腹に別荘を設け療養した。
この別荘のあった場所に、温泉施設のシンボルとして昭和63年に建設されたのが、大谷西紀記念館と観音菩薩立像であり、館内には西国33カ所の霊場風景と観音像が描かれた水墨画が展示されている。