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篠山城跡(北新町)

二階町バス停から徒歩約3分

篠山城跡の写真 二階町の信号を南へ約200メートル行くと、外堀が左右に広がり、前方に高石垣がそびえ、松平・青山氏14代、6万石の「篠山城跡」がある。
 徳川家康は、慶長5年(1600)、関ヶ原の合戦で勝利をおさめ、同8年には征夷大将軍に任ぜられ、江戸幕府を開いた。そして、天下平定を目指して、大坂城の淀君・秀頼を中心とする豊臣方に対し、和戦両面の準備のため彦根・姫路・伏見・津など10ヵ所ばかりの諸城を新・修築し、大坂城の包囲態勢をとった。
 その一環として、さらには西国諸大名への備えも兼ね、奥丹波の要衝のこの地に築城を決めたのである。慶長13年、常陸国(茨城県)笠間城主で実子の松平康重を八上城に移し、翌14年に姫路城主池田輝政を普請総奉行に、縄張(設計・監督)は名手の津城主藤堂高虎に命じ、西国15ヵ国20の大名に「天下普請」をさせて、突貫工事で築いたのが篠山城(別名・桐ヶ城)である。
 現在、建物はないが、城郭主体部の石垣や外堀・馬出などがほぼ完全に残り、貴重な平山城の遺構として、国指定の史跡となっている。

「丹波篠山五十三次ガイド(改定版)」(平成7年8月発行)より
※地名・交通経路等は書籍発行時のもので、現在の状況とは異なる場合がありますのでご注意ください。