篠山城跡から徒歩約5分篠山城跡の西堀沿いの道の南端に、青山忠裕公が老女(奥方に仕えた侍女のかしら)の小林千衛のために建てたという屋敷がある。「小林家長屋門」(県・文)は、入母屋造、茅葺で曲屋がつき、城に向って、もの見(見晴らし窓)、上段の間を設けた貴重な遺構である。
もう一つ西側の通りはお徒士町で、道の両側に平均八間(約14.5メートル)の間口をもつ「旧武家屋敷」が十数棟残っている。これらは、お徒士衆(主として藩主の警衛にあたる武士たち)の家屋で、道にそって築地塀を並べ、茅葺きの棟門を構え、少し下げて入母屋造の屋敷を建てている。その家屋も茅葺きで、平入りと妻入りがあり、棟の形はL字形に曲屋をつけてあるのが多く、これが、全国の武家屋敷群の中での大きな特徴である。
間どりは特に定めはないが、田の字型が多くて土間が貫通している。興味があることだが、各家の座敷は、床柱を背にすわったときに尻を城の方向に向けないように配置されている。
道の西寄りに溝があるのは、もとは西側の家並みがここまでであったのであるが、天保元年(1830)に大火でほとんどが焼け、再建の時、一間(約1.8メートル)後へ下げたからである。
なお、残り少なくなったが、ほかにも外堀の周辺や各所に若干の武家屋敷が見られる。
「丹波篠山五十三次ガイド(改定版)」(平成7年8月発行)より
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