上立町・本篠山バス停から徒歩約10分王地山公園の西側、稲荷神社の赤い鳥居が並び立つ、長い石段の右の谷間に、「王地山陶器所」が付近の情景に調和して設けられている。
自治振興事業により、昭和63年4月、120年振りに「王地山焼」が復興されたのである。
王地山焼は、文政元年(1818)ごろに始まり、藩主青山忠裕が、当時、青磁については日本一と言われた名工「欽古堂亀祐」を京都から招いて指導させた藩窯であり、中国風の青磁、染付、赤絵などを主とした磁器窯であった。
窯は十二房式の長い登り窯であったという。陶石は初め天草長石を取り寄せていたが、古市村波賀野に良質のものが発見され使われた。
地元の豪商2人に経営をまかせ、嘉永年間(1848~54)ごろにかけての最盛期には煎茶器や置物のほか、花器、鉢、徳利、香炉、銘々皿など気品に富んだ上手作を多く焼いている。
しかし、廃藩を前に業績が悪化し、明治2年に廃窯となった。最近、貴重な文化財として、再開を望む声が多く、期待をうけて開窯された。すでに、数々の見事な作品が出来上っている。
「丹波篠山五十三次ガイド(改定版)」(平成7年8月発行)より
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