篠山本町(誓願寺前)バス停から徒歩すぐ城下町篠山の西北、西町から北上する道路がT字型に交わる要所に、「誓願寺」が砦のように建っている。楼門(町・文)は、室町時代後期の様式を残しており、その彫刻は見事である。
ご本尊は、阿弥陀如来坐像である。三岳修験道の小金ヶ岳・廃福泉寺より移したもので、法道仙人作と伝えられている。
八上城主波多野秀治公が高城山の山麓に、天正年間(1573~92)の初め、覚山天誉上人を開山として八上誓願寺を創建した。覚山は室町幕府13代将軍足利義輝の子であり、永禄8年(1565)5月、父が松永久秀らに殺されると、京都の誓願寺に逃れ、父の菩提を弔うために仏門に入った。それを秀治公が保護したのである。八上誓願寺は中本山として、12ヵ寺の末寺をもつまでに発展したが、覚山は晩年、西紀町宮田の廃浄福寺に隠棲し、そこで亡くなった。
篠山に築城されると、当寺は民心の安定と城下町造りの拠点として、この地に移築された。本堂・山門は当時のままで、秀治公の肖像画と八上城合戦図絵が残り、「知新館」跡の碑がある。
「丹波篠山五十三次ガイド(改定版)」(平成7年8月発行)より
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