警察署前バス停から徒歩約5分バス停留所前方の信号を左へしばらく行くと富の山山麓に「諏訪神社」がある。天平勝宝(749~57)のころ、信濃国(長野県)諏訪大社のご分霊を勧請したものと伝えられている。
ご祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)(男神)・八坂刀売神(やさかとめのかみ)(妃神)及び八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)(兄神)である。これらの諸神は、父神大国主神(おおくにぬしのかみ)を助けて出雲の国造りをした後、信濃に入り開拓に尽力され、肥沃な耕地を造られた。諏訪大社は、古くから国家安泰・武運長久・五穀豊穣・生業繁栄を祈り、近来は生命の根源、生活の源を司る神として崇敬されている。当地域も沼沢を干拓し、農地を拡大していった状況がよく似ていることから農業神、軍神及び妃神にあやかり、安産の神として祭ったのだと考えられる。
ご祭神の刀売神のご分霊をお迎えしたことについて、次のような話が伝わっている。
大昔のあるとき、古佐(丹南町)の与佐九郎という者が信州の諏訪大社にお参りしての帰途、丹波に行くという娘さんと道連れになった。ついに、吹(丹南町)の雲岡山付近まで帰ってきたので、「あんたは、一体どこまで行くのか」と尋ねると、娘は身を翻して、大川の淵に飛び込んでしまった。
与佐九郎が驚いて助けようとすると、娘の姿は大蛇となって「我は諏訪明神なり、五穀豊穣、安産さそう」といい、岡屋の山を七巻半して、この地に鎮まられたとのことである。
往古より、山中の大木を神奈備として祭ってきたが、明治39年に初めて社殿を建てた。
境内には三光稲荷神社・白山神社・春日神社・大歳神社・八幡神社・災除神社などがある。
富の山とは、刀売神からで、飛の山・刀美の山ともいい、東の小川を富の川と言っている。
この山には永禄・天正(1558~92)のころ、八上城主波多野秀治の重臣渋谷伯耆守氏秀が弟氏昌・昌時・重則とともに居城とした城跡があり、山上が主郭で、南側に堀切、土塁の一部が残り、西南に妙見堂がある。
「丹波篠山五十三次ガイド(改定版)」(平成7年8月発行)より
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