城東日置バス停から徒歩約3分バス停から南へ行くと、小学校の隣に「磯宮八幡神社」がある。承平3年(933)に石清水八幡宮よりご分霊を勧請したという古社で、末社50社とともにお祭りしたので、五十宮とも、また、水辺すなわち磯にあったのでその名があるともいう。
もとは、曽地・後川荘など四ヵ荘の総社であった。領主、武将らの信仰が厚く、建武3年(1336)2月、足利尊氏が九州への途中に参拝し、願文や鏑矢等を奉納し、田畑も寄進したと伝えられている。
八上城主波多野秀治も城内武運長久の守り神として崇敬し、各種の寄付をするなど保護をしたが、天正7年(1579)、兵火によって焼失。翌8年には再建された。
承応3年(1654)、篠山城主松平康信が境内並びに田地二反余を黒印除地としている。寛文12年(1672)に社殿を建立。今の社殿は、弘化5年(1848)に造営されたものである。
神宮寺にあった四天王のうちの「木造持国天立像」と「木造多聞天立像」は、ともに平安時代の作で、国の重要文化財に指定されており、現在、収蔵庫に安置されている。
「丹波篠山五十三次ガイド(改定版)」(平成7年8月発行)より
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