波々伯部前バス停から徒歩すぐ血寄地蔵の東約1キロメートルに「波々伯部神社」がある。
ご祭神は、もと牛頭天王(ごずてんのう)で、現在は素戔嗚尊(すさのおのみこと)である。貞観年間(859~77)の創建とされる。天徳2年(958)に悠基国となった時、八坂神社よりご分霊をうけたというが、承徳2年(1098)、波々伯部村の田堵(自作農民)13人が二十五町八反余の田地を祇園感神院(八坂神社)に寄進し、荘園・波々伯部保となった際に勧請したとするのが妥当で、丹波の祇園さんである。
土豪の波々伯部一族が深く崇敬し、応永34年(1427)と永正14年(1517)に奉納した薬師三尊懸仏(町・文)が現存する。その後、波多野氏の祈願所となり厚い保護をうけた。氏子は古くより「宮の党八ヵ村」といい、周囲の八ヵ村である。
祭礼は、8月4日、5日で、8台の山車の宮入りと神輿3基の渡御があり、2台の「造り山」(きうり山)で演じられる木偶(でこ)とよぶ「12体の操り人形」にまつわる「お山の神事」(県・民俗)は、民俗芸能の貴重な資料である。
なお、長沢芦州の「月下芦雁図」などの計36面の障壁画(町・文)がある。
青銅鳥居(町・文)の横には、篠山城から2番目の「一里塚」があった。旅人たちは神社にお参りして道中の無事を祈ったことだろう。
「丹波篠山五十三次ガイド(改定版)」(平成7年8月発行)より
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