後川中バス停から徒歩約5分バス停から西北方に山裾に、道路に面して由緒あるたたずまいの「春日神社」がある。
前を流れているのが、武庫川の上流の一つである羽束川で、今にアユやアマゴの泳ぐ清流である。
この川の流れが、地名の起こりになっているようである。すなわち、周囲の高い山の後ろを流れているから、シリへ川と言うべきをシツ川と呼んで、後川の字を当てたという説(『多紀郡明細紀』)がある。また、源流点の天王からみて、尻川(川下のこと)、つまり、川の後ろの部分で、後川となったともいう。古書には塞川と記されたものもある。
丹波で最も古い荘園の後川荘については、次のところで述べるが、天平20年(748)には、すでに東大寺領であり、奈良との関係が続いていた。その後、平安時代(794~1185)末のころ藤原が領家(領主)となったことにより、藤原氏の氏神である春日大社のご分霊を、天福元年(1233)に原谷の奧に勧請した。
ところが、参拝に不便なため、宝治元年(1247)、中村と上村の現在地へ同時にお移ししたのである。
その後、度々再建や改築がなされ、今の本殿は、嘉永2年(1849)4月に建てられたものである。社殿は流造で、長床を設けた珍しい構えであり、彫刻は京都の柴田角兵衛芳光の作であるという。
鞘堂(本殿をおおってある建物)は、昭和34年10月に完成した。鳥居を入ったところの礎石は長床跡と思われる。
長床というのは、社前の正面にある平屋の長い床板敷の建物で、柱間中央下に参詣道から庭前に出る床下道がつけられている。お参りする人は、この抜け階段を登って神社に出るようになっているのである。丹南町油井の大歳神社と同波賀野の出雲神社にもみられ、三田市上本庄の駒宇佐八幡神社には、完全な姿で現存し、市の文化財に指定されている。
長床づくりは、近世初期から中ごろにかけて流行したもので、県下では南部に多い。
「丹波篠山五十三次ガイド(改定版)」(平成7年8月発行)より
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