東本荘バス停から徒歩約5分東本荘の集落の東、道路の北側に県下で2番目に大きい前方後円墳の「雲部車塚古墳」がある。
左右に車の両輪のように陪塚があるので、そのように名付けられた。もとは7基の陪塚があったというが、うち4基は、今はなくなってしまった。
墳丘の長さは140メートル、後円部は径80メートル、前方部は幅83メートル、盾形の周濠をもち、さらに外側に周庭帯をめぐらしており、独立丘陵からの尾根を切断して墳形を整えている。
明治29年に試掘した際に、後円部の中央より少し南の位置に竪穴式石室があって、四方に縄掛突起のついた長持型石棺が安置されており、甲冑や刀剣、槍などの副葬品があることを確認している。
被葬者は、崇神天皇のころ四道将軍の一人として派遣された、「丹波道主命」との説もあり、宮内庁より陵墓参考地に指定されている。
しかし、現在、5世紀の築造で、国造級の墳墓との推定が一般的である。
いずれにしても、大和と山陰方面を結ぶ重要地域の篠山盆地に大勢力を誇った集団が存在していたことを物語るものである。
「丹波篠山五十三次ガイド(改定版)」(平成7年8月発行)より
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