細工所バス停から徒歩約30分細工所交差点の東南目前の山上(404メートル)に「細工所城跡」があり、荒木城・井串城とも呼ばれる。天文年間末(1550ごろ)に荒木山城守氏香が築いた壮大な山城である。本丸は約900平方メートルで回廊をめぐらし、内堀の長さ南北に61メートル、外堀は800メートルもあり、堀切を設けて多くの平坦地があり、七つ谷、馬の背などと呼ぶ多くの谷や峰からなっている。大手門は縦6メートル、横16メートルという堂々たる構えであった。東細工所に城館跡が、その東に明智軍が大筒を打ったと伝える鉄砲丸という峰があり、ここに廃灯明寺があった。
荒木氏の出自は、伊勢国とも志摩国荒木郷ともいい、『寛政呈譜』には波多野兵部少輔氏義が京都府天田郡荒木村に住んで荒木氏を称したとされる。山城守氏香は、波多野秀治に属し「丹波鬼」と恐れられた勇将であったが、天正5年(1577)、明智勢の猛攻をうけ落城し降伏して、東本荘の館に引き籠もったという。
子の氏清ら一族は光秀に従い、天正10年の本能寺の変に続く山崎の合戦や、明智秀満が近江の坂本城に籠城した時にも参加している。
「丹波篠山五十三次ガイド(改定版)」(平成7年8月発行)より
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