小田中バス停から徒歩約5分今から約175年前の文政年間のある年のこと、江戸両国の回向院広場の将軍上覧大相撲の最中、篠山から参りましたと、「小田中清五郎」ら8名の力士が現れ、全員が勝ち続けた。
これにより、時の老中・篠山藩青山忠裕公は大いに面目をほどこすことができた。後に、それぞれ領内のお稲荷さんとわかり大変感謝したという。
拝殿に8名の力士の絵馬が奉納されている。
後ろの丘上に「稲荷山古墳」(町・史跡)があり容易に登れる。6世紀後半に築かれた前方後円墳とみられ、全長は約28メートルである。
羨道部は真東に向いている。石室の形が変っていて、玄室に直角に横から入口がついており、T字型古墳と呼ばれ、この種のものは郡内でここだけである。また、天井石が1個になるように、壁石をアーチ型に積んである。
横穴式石室の古墳は、大陸の形式と言われる。渡来人の墳墓だろうと推測され、奈良県明日香村出土の木簡に「旦波國多貴評草上里漢人部□□□(たんばのくに たきのこおり くさのかみのさと あやひとのべ)」とあり、注目されてる。
「丹波篠山五十三次ガイド(改定版)」(平成7年8月発行)より
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