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合戦場跡と筱見観音(上筱見)

丹波東雲バス停から徒歩約10分

 筱見四十八滝への入口の道路脇に小公園が設けられ、立派な「聖観音立像」が建立されている。これには次のような事情がある。
 応仁元年(1467)正月、丹波・摂津・讃岐・土佐などの守護細川勝元は、いわゆる「応仁の乱」に備えて、丹波守護代内藤元貞らの族党を京都に招集した。
 そのすきをねらって、但馬・播磨・備後・安芸などの守護山名宗全側の垣屋・八木・太田垣・田井(結)庄・南条らの軍勢が丹波に進攻を図った。同年6月8日、内藤則繁は天田郡夜久野に迎え討ったが、多勢に無勢、敗れて丹波内藤氏の出身地多紀郡へ引き上げた。あとを追って山名勢は乱入してきた。内藤勢は、主力は上京しており、陣営を立て直すこともできず、次第に追いつめられて、村雲村筱見付近で全滅に近い打撃をうけたのである。
 この戦いを「丹波村雲合戦」といい、土地の人々は今にその激戦の地を「合戦場」と呼んでいる。
 昭和49年、西宮の「百万石酒造」が、その戦場跡に丹波工場を建てたが、往事の戦死者の供養と除災のために、昭和52年、同社は地元の協力により、聖観音立像(高さ約1.8メートル)を建てたのである。

「丹波篠山五十三次ガイド(改定版)」(平成7年8月発行)より
※地名・交通経路等は書籍発行時のもので、現在の状況とは異なる場合がありますのでご注意ください。