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立杭の里
日本六古窯のひとつ
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今田町上立杭、下立杭、釜屋地区には丹波焼の窯元が約60軒あり、伝統を守りながら新しい技法を加えて、たくましく美しい工芸作品を作り続けている。
丹波焼はその地名から立杭焼とも丹波立杭焼ともよばれ、日本六古窯(瀬戸、常滑、越前、信楽、丹波、備前)の一つとして有名である。
その起こりは平安末期で古来の須恵器(素焼きの土器)から発展したものである。はじめ釉薬は用いなかった。山の中腹に築いた長大な穴窯により、半月以上もかけて作った焼締で、自然釉の流れが微妙に見られる。
慶長末年頃(1610-15年)になると、山の斜面を利用した登窯が開発され、釉薬が使われるようになる。初期は赤土部釉を基調に、灰釉、飴釉などを併用し、重厚な美しさを出すとともに窯変(窯の中での色や形の変化)も生じた。
さらに化粧土、土灰釉、石黒釉、栗皮釉などによって多彩な発色が可能となった。装飾も葉紋、筒書、釘彫、張付、櫛目、墨流しなど丹波独特の手法を駆使するようになる。
徳利、鉢、皿、桶、壺、茶器をはじめ、生活用品を中心に、上手物(高級な工芸品)も作られるようになった。
篠山藩は承保3(1654)年から享保元(1716)年の間、大阪の大津屋源兵衛を丹波焼きの座元として、商品の一手販売をさせ、運上銀の納付と殖産振興を図った。
現在、丹波立杭窯(作窯技法)は国指定重要無形文化財。登窯一基が県指定民俗文化財。丹波焼古窯跡は県指定史跡となっている。
ここには「丹波伝統工芸公園・立杭陶の郷」があり、陶芸教室、展示即売場や資料室なども設けている。郷土が誇る土と炎の芸術とのふれあいの場とも言える。
毎年10月の第3土曜、日曜日に開かれる「陶器まつり」は、多くの人々で終日賑わう。 |
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