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源義経(その3)
武運を祈り鞍を奉納
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県道三田篠山緑を南に行くと、丹南町小枕で国道372号と交差する。
その東約300メートルに馬口池がある。
義経軍が馬の口を洗ったからとも、水を飲ませたからとも伝えられる。
交差点の南には春日神社があり、義経が奉納したという鞍がある。
この鞍については、「篠山封疆志」や「駒鞍古跡集」などで紹介されている。
義経が馬に乗ったまま槙ケ峰(467.4メートル)のふもとの社前を通りかかると、急に馬が身震いして立ち止まり、振り落とされそうになった。
老人が現れ、「ここは勝村と言い、春日大明神、加茂大明神、それに八幡大菩薩を氏神としておまつりしています。乗馬のまま通りすぎるとは無礼で、神のたたりがあったのです」と言う。
義経はもっともなことだと席から下りた。
そして鞍を解いて木に掛け、改めて武運を祈り、鞍を奉納した。
今、この場所は鞍懸山(鞍掛塚、聖塚)と呼ばれている。
この付近でいったん合流した義経軍はその後、真南条街道と岩崎、宇土街道に分かれて前進し、夕方には住山村(丹南町)の「集」というところに到着した。
全軍がこの谷あいに集結して不来坂を越えたのか、一部は集坂を越えて、四斗谷(今田町)に入ったのか、今となっては分からない。
ここに「偽首(うそがくび)」という所があり、「封疆志」に「偽首、小野原村の北にあり。……平資盛の先隊の士卒ここに到り、甲胃を樹頭に懸け、偽りて陣列をなし・・・」とある。
平家軍はこの方面からの侵攻にも備えて、甲冑を用いた、このかかし作戦を考えたのだろう。
夜半に義経軍は、小野原の在家をはじめ、野や山にも火をつけ、三里(約11.8キロ)の山を突破、三草山に殺到したのである。 |
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