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城とその歴史

 江戸幕府を開いた徳川家康は慶長13年(1608)に実子松平康重を常陸国 (茨城県) 笠間城から八上城に移し西国諸大名に対する抑えの拠点として新城の築城を命じました。
 そして翌年の慶長14年に丘陵の笹山に築かれた新しい城が篠山城です別名桐ガ城とも呼ばれている篠山城は普請総奉行に池田輝政(姫路城主)縄張りに藤堂高虎(津城主)を配し15カ国20の大名の夫役による天下普請としてわずか6カ月で完成し以後松平三家八代青山家六代の居城として栄えました
明治維新後は明治4年(1871)の廃藩置県や明治6年の城郭取り払い令により隅櫓門堀など大半の建物が次第に取り壊されました。
 その中で城内最大の建築物であり京都の二条城の遠侍の間を模したといわれる壮大な大書院だけは取り壊しをまぬがれその後小学校や公会堂として利用されてきました.
 ところがこの建物も昭和19年(1944)1月失火によって消滅してしまい現在城には往時をしのぶ建物は何ひとつ残っていません。