篠山城二の丸には慶長14年(1609)築城以来大書院小書院 大広間城主居館奥御殿の殿舎が甍を連ねていました。 特にその中でも大書院は藩の公式行事に使用されたと考えられ二条城の書院遠侍の間を模したといわれ城内最大の建物でした。 大書院の内部には36畳敷広間、虎之間、を始め 孔雀之間 手鞠之間 源氏之間 葡萄之間千鳥之間御上段之間 闇之間 の8室があります。 それぞれの間は往時幕府の御用絵師狩野一門が筆をふるったと思われる金碧障壁画によって装飾されていました。 また大書院周囲をめぐる広縁もところどころ板襖によって間仕切りされこの板襖にも絵が描かれていたことも古い図面によって明らかです。 これらの諸画も篠山城築城後天下普請によって築城された名古屋城本丸御殿( 戦災にて消失絵画は現存)の障壁画に類似していたと考えられます。 この大書院西側には槍之間次之間 を備えた付属の建物があり城内居館の玄関となっていました。 |