城の出入口は大変重要なところで虎口と呼ばれています。そしてこの防備には最大の知恵がしぼられていました。馬出は城への通路を複雑にし出入口を守るための施設でありここにあらかじめ兵馬を繰り出しておきいざという場合は馬出の門を開いて打って出るたまり場でもありました。
篠山城には北(大手)東南の3カ所に角形の馬出があり外濠から突き出る形で凹字形の濠と土塁で囲まれていました。
北の馬出(大手馬出)は大正12年(1923)に道路を直通するため埋め立てられましたただ現在たんば田園交響ホール両側道路に面したところにその土塁の一部が残っています。
東馬出はかつて建物があった関係で現状は損なわれていますが濠は昔の姿をとどめています。ところが南馬出だけは土塁と濠がほとんど完全に残っていて往時をしのぶことができます。
また南馬出は玉置金司(篠山出身の洋画家--明治時代)の絵にその姿が描かれ昔は大きな桜の木があったことが知られています。とにかく土塁馬出の遺構としては日本唯一の貴重なものといわれています。
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