1868年(明治初年)篠山出身の洋画家玉置金司によって描かれた篠山城東門の絵は現存する城の絵画の中では最も美しいものであります。
金司はこの絵を描くにあたり古写真や古老の話を聞き忠実に製作したといわれています門の形や遠くに見える二の丸北東隅櫓掘等は江戸時代の絵図と比較しても正確に描かれています。
篠山城にはこの東門を含め3カ所に大きな門がありました それぞれこれを通らないと城内へ入れなかったわけです。大手門(正門) 東門 南門の三門は馬出ののど元にあたる三の丸を囲む土塁の間に設けられた堅固な櫓門(櫓を乗せた門)でありました。
二の丸表入口にあたる所は廊下門(廊下のようになった長い門)に続いて左右の石垣の間を櫓門で固めそこを入った枡形にはさらに中門くろがね門(櫓門)がありました。
二の丸の南裏門は左右の石垣に架けた渡櫓の下が埋門(隠れた門という意味で外から見えない門)になっておりそれを隠すためにその外には隅櫓があって三の丸の南廊下門へと続いていました。
その外にも馬出出入口や大手門口(現在大正ロマン館横)をはじめ城下町の要所に設けられた高麗門や棟門までいれると篠山城下には多くの門がありました。
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