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苦難の築城

篠山城は慶長14年(1609)徳川家康の命によって豊臣氏の大阪城攻めの備えと西国諸大名への抑えを目的として山陰道の交通の要衝である篠山盆地の中央に築城されました。
築城に先立って新しく城を築く候補地として飛の山王地山笹山の三つがあげられその中から笹山が最も適しているとの理由からこの丘陵に決定しました。
築城の状況を伝える[篠山旧記御城取立] によると慶長14年3月に始まり笹山丘陵上にあった春日神社の遷宮を終えてから工事にかかったと記されています。
ところが江戸時代を通じて気象は決して温順ではなく天候不順や火山の爆発大地震などが度重なり厳しい気象状態にあったといわれています。
築城の始まった江戸時代の始め篠山の地も天候不順に見回れ3月4月(新暦の5月6月) は厳しい余寒と悪天候によって城の基礎をなす岩盤工事が進まなかったようです。
その後も天候不順に悩まされ工事が思うようにはかどらなかったため6月家康の命を受けた藤堂高虎が築城を急ぐように諸大名に厳命しスピードを争う突貫工事となりました。
しかし8月10日には近畿一帯を襲った大洪水のため工事はまたもや遅れましたが9月中旬になってようやく石垣工事がほぼ完了したといわれています。それに伴い多紀郡犬飼村の大工棟梁前川吉右エ門によって大書院棟上げの槌打ちが行われるなど築城は順調に進み11月28日築城に携わった8万人の人々に労をねぎらう振る舞いがありました。そして12月26日初代城主として松平康重が八上城から新城に入城。
翌慶長15年八上の町家を新城下へと移し始め新しい町の建設が始まりました。