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石仏も使われた石垣

城の工事には多くの石材を必要とし篠山城築城に際しても丹南町当野や篠山町鷲尾から石を集め石垣を築いたことが記録として残っています。
他の城の築城にも石材を集めることは大変だったようで古墳の石棺や道端の石仏寺々の墓石が使われている例がたくさんあります。
特に福知山城はその最もよい例で天守台や古い石垣には五輪塔 宝篋印塔 梵字刻印のある石がおびただしく使われています。これは記録によると明智光秀が築城のとき普請奉行に命じてやらせたことが書かれています。
このことは築城を急ぐため石と呼ばれるものはたとえ石仏墓石であろうとも使われたとか築城を成功させるための鎮護の意味であるとかまた権力の象徴としての築城に民間信仰の対象である石仏墓石等を使用することによって民衆の力をそぐ意図があったともいわれています。
篠山城の石垣にも石仏石塔が3カ所に使われています。1つは二の丸の桝形を鉄門跡へ上がる正面のところに石仏の首を落としたものが。二つ目には二の丸大井戸の西北隅内側石垣に宝篋印塔の笠石がいま1つは天守台に石塔が使われています。
このように石仏石塔墓石等が城の石垣として使用されている意図は不明ですが権力の象徴としての築城は今も多くの歴史的教訓を語りかけていることを忘れてはならないでしょう。