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土中より城の歴史を探る(1)

篠山城二の丸には大書院をはじめ小書院中奥御殿奥 御殿などの建物が棟を連ねていましたが明治6年(1873)城郭取払令によって大書院を除く建物はすべて取り壊してしまいました。
そして残された大書院も昭和19年(1944)焼失し今日まで城の建物は存在していませんがその全容を明らかにするべく昭和56年から59年にかけて4回にわたる二の丸発掘調査が行われました。
その結果建物が建っていた二の丸の地面は大部分が岩盤であり築城にあたって相当の岩を削り出し平坦地に造成していることが明らかになりました。しかし北西隅付近はかなり多くの盛土が置かれていたようです。
昭和19年まで残っていた大書院跡には礎石がありましたがその他の建物の礎石は城郭取り壊し後整地された関係からほとんど残っていません。しかしながら部分的に掘跡や便所跡のように現在伝えられている間取り図とも一致するところも発見されており絵図に描かれていることを裏付けています。
またこれより下の層には建設当時の雨落溝や岩盤掘り込みの穴などが多く発見されています。これらを今まで伝わってきた絵図と照合してみるとかなり違いがあるところから築城後の早い時期に大書院を除くほとんどの建物がかなり改築されたのではないかといわれています。
篠山城二の丸は次のようにおよそ4つの区域に分けることができます。大書院小書院御広間からなる表御殿区域中奥御殿台所からなる区域奥御殿を中心とした区域庭園からなる区域です。これらの区域からは当時人々が生活を営んでいた痕跡を知る貴重な遺物が多数発見されました。