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石垣の符号

 篠山城跡を入口である北廊下門跡から上って行くと、石垣のあちこちに(○に小の文字)とか(□にぺけの文字)の印を見かけることがあります。
これは符号と呼ばれるもので、約二百五十種類あるといわれています。
 この符号は、石を切り出した工事の受け持ち区域を示した印か、担当した石工の銘か、監督の大名や侍のサインか明らかではありませんが、既に石切り場で付けられていたようです。
 一つの例では天正十一年(一五八三)の大阪城築城には、各大名は部署の石垣に自家の紋印を付けて、名前と責任を明らかにしました。
 篠山城にはこれらの符号のほかに、南側埋門を出た右側の石垣に「三左之内」と刻まれたものがあります。これは、築城総奉行を務めた池田三左衛門輝政の持ち場でなかったかといわれています。
 篠山城は短期間で築城されましたが、賦役に携わった人たちが、石垣を積む際に与えられた持ち場を間違わないようにするために、石に印を付けたのかもしれません。
 これら多くの石垣の符号を見るとき、築城がいかに大変だったかをうかがい知ることができます。これも歴史の教訓として、しっかりと受け止めなければなりません。