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天守閣の代用として使われた二の丸三重櫓


三重櫓の位置を示す二の丸絵図面
(栗林貞成氏提供)
 篠山城は、あまりにも堅固な城郭として築かれた理由から、用材は準備したものの、天守閣の建築は許されなかったといわれています。しかし、本丸・二の丸の高い石垣の上には、すべて多聞櫓を配置。さらに、それを結ぶ要所要所には 、二重・三重の櫓を配置させていました。
 櫓は本丸・二の丸・三の丸を含めて十四基あり、そのうち二の丸西側(篠山中学校寄り)・三の丸東南角(篠山小学校運動場東南角)が三重、そのほかは二重櫓で、塀や多聞櫓と接続されていました。この中で二の丸三重櫓は、多聞櫓に接続されていましたが、基礎が古図によると東側へはみ出した大きなものであったようです。しかし、詳細は図面が残っていないため、その規模を知ることがで きないのが残念です。
 宝暦八年(一七五八)篠山藩御普請方積帳のうち「瓦師土積」によると、二の丸三重櫓のことに関して「天守物平瓦百五十五枚、唐草瓦百四十枚等を使用」と書かれていますので、この年、城の大改修が行われたと思われます。
 篠山藩の記録にも見られるように、江戸時代を通じて、この二の丸三重櫓が、篠山城天守閣の役割を果たしていたことがうかがい知ることができます。
 篠山城は、江戸時代二百六十年間を通じて、石垣の修復や瓦の葺き替え・修理が度々行われていますが、そのつど篠山領民の労があったことを忘れてはならないでしょう。