発掘調査 対面所跡 |
篠山城の御殿風の建物は、二の丸大書院等の他に、三の丸(現在の城北グランド)に対面所と呼ばれる建物がありました。詳しい絵図等が伝わっておりませんので、その規模や構造などを知ることはできませんが藩政を行う上で大きな役割を占めていました。すなわち領民との接触は、この対面所が中心で村々への年貢の割り当てや賞罰等も行われました。篠山町泉の山田家文書の中に江戸時代後期、山田家の当主新左衛門が対面所において、大庄屋を長年勤めた功により木杯を受けたことが記されています。このように対面所は藩政全般にかかわる諸事を行う建物に対し、二の丸大書院等の御殿群は藩主の住まいや藩の公式行事、儀式、式典を行うものとして位置づけられていました。 |