橋は、もともと川や堀を渡るための構築物ですが、城における橋は、城内と場外の間、または曲輪(くるわ)の間を連絡し、通行するためのものでした。 城の橋は、大きく分けて土橋と木橋の2種類です。 土橋は土塁や石垣で作られたもので、敵軍に破壊されるのを防ぎ多人数が通行でき、大砲などの重いものを運ぶことができました。また、水堀と空堀を区分したり、水位の違う堀を調節する水戸(みと)違いにも利用されました。 一方木橋は、木材で堀をまたいで掛けられたものですが、籠城するときは、橋を壊し守りを固めることができる一方、逆に敵軍に落とされ、封じ込まれて孤立するおそれがありました。 そのため木橋には、種々の工夫がこらされ、複雑なものになっていました。 篠山城の場合は、すべて土橋で、大手馬出しから大手門に入る土橋は北濠と西濠の水位が異なるため水戸違いの土橋となっており、さらに東馬出しから水門に入る土橋も北濠と東濠の水位が異なるため同様の形式でした。 現在、東濠と南濠の間にある土橋は後世新たにつけられたものといわれています。 また、厳密にいえば場外から大手、東、南の3つの馬出しにも左右に濠をまたぐ土橋がありました。 三の丸と二の丸を隔てる内濠にかかる土橋は廊下門を載せる特異な形式になっていました。 このように城における橋は、単に防備上だけのことでないことがわかります。先人たちの美意識と土木技術の高さに驚くばかりです。 監修 大書院復元室 |