近世の城郭は、天守閣や櫓、門、塀などが防備施設として造られる一方、政治を行う場所や住居などとして御殿が建てられました。 そして、これら城郭の主要施設の他に城郭を維持していくために奉行所、番所、馬屋、蔵などの付属的な施設が必要でした。 これの建物は各種各様の様式であり、あまり目立たず重視されないむきもあって、明治維新以降、多くが取り壊されてしまいました。 これらの中でも蔵は重要な役割を果たし、金貨、焔硝、米などを備蓄するため設けられました。 篠山城の蔵は三の丸北東内濠(現篠山幼稚園西側)に沿ってロ字状に建てられていました。 絵図によると切り妻屋根、本瓦茸きでほぼ中央に木戸を付けた三棟が米蔵と描かれています。 その内一棟はL字状の大きいものでした。 この米蔵も篠山城内の付属建物の一つですが、篠山藩の領民が汗し作った米を備蓄し、藩財政をささえるために、大きな役割を果たしたことでしょう。 参考文献 復元大系日本の城9城郭の歴史と構成 監修 篠山城大書院復元室 |