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城下町の形

 城下町の建設は、「篠山築城記・年号覚書」によると慶長15年(1610)1月15日から、八上の町家の移転が開始され、年を追う毎に城下町の形成がなされていきました。
 城下町の町割りは、東西の城下町への出入り口に番所を配置し、町全体が城郭をとり囲むように、武家屋敷、寺院、町家、番所、門などが配置されていました。
 また、城下町へ入る道路は見通しを防ぐため、何回も屈折させたり、自然の川を利用するなどして、防御上あらゆる工夫がされていました。
 町の建設は、八上からの町家の移転とともに寺院の移転も行われ、尊宝寺、来迎寺、誓願寺真福寺、観音寺、妙福寺の寺々を城下町の重要な道路の曲がり角近くに配置し、有事の際には防衛拠点の役割を担わすとともに武士、町人の信仰のよりどろろとしました。
 町家は、慶長15年(1610)以降、河原町、小川町、呉服町、二階町、魚屋町、西町が軒並をそろえていきました。 さらにお花畑新町筋、石上寺前筋、割場裏新町筋などと呼ばれる町筋も整い、城下町としての形成が出釆上がるのは江戸時代の中期ころといわれています。

 参考文献 1978版篠山町教育委員会     -篠山城-  
        篠山町編纂     篠山町七十五年史  

 監修 篠山城大書院復元室