城の起源は古く、弥生時代に集落間の抗争から住民を守る一種の都市防衛の城として築かれた、吉野ケ里遺跡(佐賀県)の環濠集落(堀をめぐらした集落)までさかのぼるといわれます。 飛鳥時代後期には、朝鮮半島の百済国が滅亡し、多くの人たちが日本に移住しました。そして、この中から築城技術をもつ工人によって、九州から瀬戸内にかけて、日本における対外的な国防の城が築城されました。 律令国家の成立とともに城壁をめぐらした、中国の都市のような藤原京、平城京の都城が出現しました。そして、それ以降、平安時代前期までの築城は国家事業として行われ、それ以後は一部の例外を除いて、武士階級による私的な築城となります。 特に南北朝時代から室町時代後期にかけては、小領主による築城が増加しますが、これらの城郭は規模も小さく、城兵の数も少ないものがほとんどでした。 しかし、室町時代後期には、近隣の領主を支配下においた戦国大名が出現し、石垣や館を整備した大城郭が造られ、これらの築城技術はやがて近世城郭築城へとつながっていきます。 今日、全国の主要都市に残されている城郭は、関ヶ原の合戦(1600)以後に築城されたり、大改修されたりした城がほとんどですが、これは近世大名の経済力と技術の飛躍的発展によるものといわれています。 しかし元和元年(1615)、大坂城落城とともに豊臣氏が滅ぶと、徳川幕府は一国一城令を発布し、諸大名の居城以外の城を認めず、さらに「武家諸法度」によって城の改修、新築を厳しく制限しました。 このため全国のほとんどの城は築城当時の形態を保って明治維新を迎えることとなります。 参考文献 「復元大系-日本の城9- 城郭の歴史と構成」 ぎょうせい |