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八上城悲歌

八上城悲歌 丹波富士・高城山

高城山 ●高城山

 標高459メートル(しごくよい山)の秀峰。朝路山、丹波富士ともよばれ、頂上の本丸を中心に、全山に完備した模範的な防御構築が施されていて戦国時代の代表的な山城である。本丸付近には当時をしのぶ石垣がわずかに残っている。


●登山道

  • 春日神社口(大手門口)…春日神社前より主膳屋敷、鴻の巣、茶屋丸を経て本丸へ。
  • 藤の木坂道(誓願寺谷)…藤の木坂「高城登山口」標石の所から直進すると渓谷にそうた急坂を、伝説の血洗池やハリツケ松の跡を経て本丸へ。左折すると芥丸に出で尾根伝いに馬駈場、茶屋の壇を経て本丸へ。
  • 弓月神社口…弓月神社より西蔵丸下を経て馬駈場へ続く。
  • 西荘口…西荘太二億、池の上より赤はげで弓月道と出会う。
  • 一の谷口…野々垣大道より一の谷、三滝、蔵屋敷、朝路池を経て本丸へ。
  • 野々垣上廻り道…馨子ヵ谷より一の谷道をわかれ、山背より森林中を廻り、朝路池を経て本丸へ。(距離は遠いが最もゆるやかなコースである)
  • 奥谷口…殿町(奥谷)松谷寺の付近より本丸へ登る道もあり、近いが急である。

八上城

●主膳屋敷

春日神社のうえの平坦地で東西140㍍南北40㍍。昔の政庁の跡で、落城後は明智光秀、前田玄以(主膳)ら、最後には松平康重の居館舵あった所である。

  • あやめ池 主膳屋敷の南にあった。
  • 御前屋敷 主膳屋敷の上の一段高い所、波多野氏累代の居館跡か。
  • 貯水池跡 御前屋敷の上に池があったが今はかれている。
  • 花の池  俗にまんど池といい、主膳屋敷の東端にあり、水はかれたことがない。
  • お花畑  花の池の東、上下2段に分かれている。

●隍跡(からぼりあと)

古書に「横5間、長さ60間」とあるが、今は小さくなり重兵衛茶屋の南100㍍の山麓に残っている。昔はこの付近に枡形などのから堀が縦横にあったものと思われる。

●鴻の巣

主膳屋敷より登り、山の尾に出た所、西の突角の番所跡。麓奥谷口の隍(からぼり)と北麓御前屋敷の隍を警護した。昔鴻の巣鳥が巣をかけて名が付けられたのもらしい。

●下の茶屋丸、上の茶屋丸、中の壇

この一連の広大な番所は、西方の西八上法興寺山と向かい合い、西より近づく敵に備えた最も重要な陣地で眺望がよい。

●三の丸

灰白色の屋根瓦の破片が発見されているので建物があったことがわかり、北側には石垣の一部が残っている。南に椿が群生する谷がある。この下に南の谷を防御するための平地がある。

●右衛門丸

三の丸の西に続く平たん部、波多野秀治在城のときの屋敷跡で、西方を見下ろす陣営地として山麓の陣地。中腹の番所陣地を指揮する外、西南奥谷の蕪丸城に通じ、背後の警備を全うし、また北方東方の各番所とも連絡して全山の総監視に当たった所である。

●涼御殿

三の丸から北へ突出した平地で、北からの涼風が心地よい。御殿跡か。

●二の丸

三の丸の斜面を登ると、二の丸の入り口に左右2個の門柱の礎石がある。本丸台地との間に排水溝の石垣があり、城跡の散見することによって三の丸と同様、建物のあったことが証明される。

●岡田丸

本丸の北側下にひろがる台地。波多野秀治の重臣岡田某の屋敷跡。東方及び北側に対する防備陣地で、眺望がよい。1000人が集結できる広さがある。周囲に塀を築いていたと思われる礎石が発見されている。また貯蔵用の大小各種の壺類の破片が出土し、全山の守備用具に使ったものと思われる。

●本丸

石垣上の平地は東西45㍍、南北24㍍、天守閣については永禄年間、松永久秀が始めて造ったものといわれ、明らかでないが、すでに秀経時代にここに望楼が築かれていて四囲に号令していたと思われる。天守台下の周囲には軍兵を集合するに充分な平地があり中央に昭和7年建立の波多野秀治の顕彰碑が建っている。

●堀切

敵襲に対する最終の防御線として谷の左右稜線部に作られたもので、番所より射撃するのに最も好適の所に築造されている。また、谷を利用して深く切り下げ、空堀として敵襲を防いでいる所が数カ所ある。

●朝路池

本丸の東南、下の谷間にあり、篭城の際の生命をたくした貯水池である。落城のとき、朝路姫がこの池に身を投げて死んだといわれ、この池に「1人行きて、水鏡に自分の姿を写し、それが美女に見える人は、その人年内に死す」との伝説もある。落城の時、金銀財宝をかくし捨てた場所か?

●磔松

和議と称するはかりごとに怒った城中の二階堂秀香らが、人質の光秀の母や腰元、明智のつき人侍3人を松につるして、磔の刑に処したと伝えられる松は直径1㍍以上もあった老松の根株が昭和初期まで残っていた。

●血洗池

磔松の西を5,6㍍下った所にある池。処刑に使ったヤリや刀を洗ったと伝えられているが、以前は誓願寺水源の泉で、飲料水地であったと思われる。風水害で埋まり、池は姿を消しつつある。

●三本杉

誓願寺谷の奥の分岐点で、広大な休息所だったらしい。樹齢数百年を経た大杉3本は今なお生い茂り、天にそびえている。谷川に沿って登れば血洗池や磔松で弓月神社からの道に合い本丸に達する。本丸までの3分の1の道のりの所か。

●蔵屋敷

朝路池の左右上下に隠れた糧道にに続く兵糧蔵を建て、付近には堀切の防備が施されている。

●池東上の番所、池東下の番所、池西の番所

いずれも堀切の上にあり、ここから堀切を突撃する敵に対して猛射を浴びせた所。池東上の番所また芥丸、馬駈場並びに東方を掃射したと思われる。

●馬見番所

池東上の番所を下りた所にあり、誓願寺谷を射撃する所、またここから馬駈場内の馬を監視した所らしい。

●茶屋の壇

磔松のあった所の東にある屯集所で、警備集合所のようなものであったと思われる。

●馬駈場

茶屋の壇に続く平坦な尾根道で、長さ220㍍、芥丸、西蔵丸より東方、山麓通ずる人馬の急走のために設けられたものである。

●芥丸

芥川悪衛門の砦跡である。東南、曽地方面、福住街道に対し、遠くは、本庄、村雲方面を監視し、野々垣、西荘口よりの攻撃に備えた重要陣地で、眺望は全山第1である。

●西蔵丸

芥丸を北へ下り、また上がった突角。北方、畑、城北方面を監視し、八上上街道を警備する重要地点で、中腹各所の番所を統合した陣地である。北に突き出しているこの山を鶴ヶ峰という。

誓願寺谷芥丸と西蔵丸の中間を西の谷へ下ると、三本杉を経て、誓願寺谷へ下り、そこから谷川に沿って藤の木坂登山口へ出る。誓願寺谷は今の篠山町誓願寺の元の所在地である。この谷には長さ11町の堀割があったと古書に記されている。