「追入(おいれ)」
夏栗山・黒頭峰・金山などに三方を囲まれた大山川最上流域にあります。「追入」という地名は、地元では山地の奥まったところにちなむとも、峠にかかわる地名ともいわれています。また、一説に、奥深い山中で修行する山伏たちが、この地に数多く入りこんできたと考えられています。彼らは笈(修行のための道具を入れたもの)をいつも背にして歩いていたので、「笈人(オイビト)」とも呼ばれていたようです。その「笈人」の「人」が「入」に変わり、笈入(オイイリ)から追入(オイレ)に転じたのでは…。というのがあります。
しかし、追入地区は、鐘が坂峠・春日町国嶺へ抜ける瓶破峠を控え、古来より但馬・氷上方面と摂津を結ぶ重要な街道筋でした。本陣があり、宿駅として大いに繁栄したのでした。そのため、元禄年間(1700年ごろ)までには「追入町」と呼ばれていたのです。
ここには地名にまつわるおもしろい伝説があります。
「むかしむかし、一人の神様が鐘(金であったかも…)を盗んでにげていったと。そして、それを追っていく神様がおったと…。この鐘(カネ)を持った神様は、とうとう峠を越して氷上郡の小倉まで行かれたそうな。一方、これを追う神様は坂の下まで来たとき、とうとう夜が明けてしまったそうな。二人の神様は、その場所に鎮座あそばしたのじゃ‥・。
追っかけた神様を祭る神社を「追手神社」といい、小倉の神様は刈野神社という。この神社は、元の名を鐘野神社というそうじゃ。だから、鐘を持って越えた山を「金山」、また越えた坂を「鐘が坂」というんじゃと…」。
こんな伝説を思い出しながら、金山にハイキングしてはどうでしょう。
(参照図書) 角川日本地名大辞典、多紀郷土史考
兵庫県文化財保護指導委員 大路 靖