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丹波篠山地名考

「小枕(こまくら)」

小枕 摂津との国境にある三国岳から北に向かって流れ、篠山川にそそぐ川の中ほどにある地域が「小枕」です。
 世に知られている一ノ谷の合戦で、源義経一行が丹波を通過したことは、よくご存じでしょう。これにまつわる伝説が、市内各所に数多く残されていますが、このうちの「小枕」について、その由来をまとめてみました。
 最もよく知られているのは、義経が京を出発してこの地に入ったとき、この村の春日神社に馬の鞍を奉納したため、これまで「勝村」と称していたのを『駒鞍』(こまくら)に改めたということです。
 義経は、馬に乗ったままで梅谷口というところへさしかかったとき、馬がにわかに暴れて進まず、一同大いに困りました。このとき、一人の老翁が現れ、
 「この村には、加茂・八幡・春日三神の氏神が鎮座する。その昔、公家の勧請された尊き神である。下馬しなき罰ならん。」と告げました。
 義経は、すぐさま馬から下り、神社に参拝して武運長久を祈り、鞍および馬具一切をかたわらの桜の木にかけ、新たな装具をしたところ、馬は直ちに進んだのだそうです。この鞍は、神社の宝物として現在にいたっております。
 ところで、ここは、隣接している野中村とともに、古代の交通制度の一つ、駅制による長柄駅の比定地とされています。駅馬や伝馬など当時の交通に関連した施設の呼び名が地名に由来しており、「駒鞍」ではなかったかとも言われています。
 地元で播磨街道と呼ばれている国道372号線のバイパス沿いには、これも義経一行が馬の口を洗ったという馬口池が、今でも満々と水をたたえています。

(参照図書) 角川日本地名大辞典、兵庫県神社誌、多紀郷土史考
篠山文華学会会員 小野 守之