「油井(あぶらい)」
古市の宿場町より、旧大阪街道を南に進むと、油井地区があります。ここの地名の由来には、いろいろな説が語られています。
第一説に、高仙寺山や白髪岳方面に降った雨が地下水となり、住山・不来坂地区を伏流して、油井で湧き出ております。この地下水が溢れ出ていることが「溢れ井」で、油井の字を用いたというのです。
第二説に、油井の柳の馬場に昔、油が湧き出ていたという井戸がありました(土地改良工事により、現在では埋没してしまいました)。ここの油を近江国(滋賀県)油日神社に燈明の火として奉納していたとして伝えられています。多紀郡明細記に、「油井村大道西畑中二アリ往古油場湧出候由、尾上城亡落候ヨリ不湧ト申伝ヘ、右油ヲ以テ江州白髪明神ヘ燈明上候ニ付、右ヲ油火ノ神社ト申候起ニ御座候」と記されています。本当に油が湧き出ていたのでしょうか…。
第三説に、「篠山封疆志」を紹介します。「村ニ井有、水凝湛シテ油ノ如シ、因ッテ名ヅク」と名前の由来が記されています。
その他、種籾を貯蔵していた井戸からの説や、油井をユ井と読み、結、(手間替=共同作業)からの由来など、話題は尽きません。
油井の地名が文書に出てくるのは、平安時代の「住吉大神代記」で、播磨国賀茂郡椅鹿山領のうち、東側の境を示す地名に「阿知万西峯」「心坂」「油位」等と書かれています。阿知万は、味間、心坂は不来坂、油位は油井であって、いちばん古い記録となっています。
(参照図書) 多紀郷土史考、日本歴史地名体系
篠山文華学会会員 酒井 辰夫