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丹波篠山地名考

「荒子新田(あらこしんでん)」

  篠山市の西、大山小学校区に「荒子新田」という小集落があります。波賀尾嶽の連峰に囲まれ、北東部のみが開けている地形です。大山川の支流、天内川(あもちがわ)の最上流で、国道176号より左折して約1.5キロメートル、山ふところに囲まれた小さな集落です。
 「荒子新田」の名称は、小字「荒子坪(あらこのつぼ)」に由来すると伝えられています。もと大山上村の土地を、徳永村(とくながむら 現在の徳永)の中澤氏が寛文7年(1667)より開発し、天保7年(1836)に、その一帯が一村「荒子新田村」として認められました。
 嘉永年間に編纂された「多紀郡明細記」の「荒子新田村」の条に、家別6軒・人別23人・男16人・女7人・牛5頭と報じております。約150年くれた平成13年2月の集計では、3世帯4人となっています。
 この「荒子新田」が村立てとなる際に、藩の検地奉行により検地が行われましたが、このときに藩より出された「荒子新田村検地帳」が大山上の西尾家に伝えられています。村立てになった際の様子がわかる唯一の史料としてたいへん貴重な存在です。江戸期では村規模の関係で、庄屋は隣接する大山上村の庄屋を勤めた西尾家が兼ねており、大山上村の内で処理されてきました。
 この集落の手前より助平坂(すけべいさか)、奥には天内坂(あもちさか)があり、峰越えに氷上郡上滝村へ通じる近道がありました。徒歩の時代には、盛んに利用されていたと伝えられています。明治の時代になっても、上滝村より祝い荷とともに天内坂を越えて嫁入りがあったとか…。
 市内で最もささやかな集落「荒子新田」のたたずまいをお伝えします。

(参照図書) 中澤家所蔵文書、西尾家所蔵文書、多紀郡明細記、荒子新田村誌
文部省認定生涯学習インストラクター(古文書) 稲山 稔也